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「疑惑報道から離党、今日までの想いと真のリベラルとしての闘い」

2017年10月 4日

●週刊誌報道から離党まで、心の内を振り返る


皆さんこんにちは。 


山尾しおりです。 今日は改めて、あの雑誌の一件から様々な決断をし、こうして地元に戻って少し落ち着いた心境で改めて皆さんに自分の心の内を率直にお話しをしたいと思います。 皆さんと一緒に、自分自身でももう一度心の中を振り返りたいと思っています。


あの報道があってから約2週間。 私は一歩も外へ出ることができませんでした。早く地元に戻って皆さんに直接、自分の声で説明をしたい。そういう思いは募りました。ただ、やはり、あそこまで報道が広がると、火が燃え盛っている中で何か自分が反論をすれば、その火は収まるよりも拡大していくんじゃないか。そうすると実際に家族に起きている、いろんな生活上の問題、嫌がらせもありました。そういうものが、収まるんではなくて、やはり広がってしまうんではないか。そういったこともあって、少し落ち着くまで2週間、なかなか外に出て自分の言葉で発信をすることが難しい状況が続きました。その、期間の中で、私は二つの大きな決断をしなければなりませんでした。最初の決断が、離党です。  


●やましいことはない。離党の選択肢はなかった


やましいことが無いのに、離党はしたくない。最初、私の頭の中に党を離れるという選択はありませんでした。私はいつも、この胸に国会議員のバッジ、そして民進党のバッジ。地元の活動も国会での活動も、付け続けてきました。民進党が、批判にさらされる時も、私は国会議員である以上、自民党に代わる、もう一つの政権を取れる政党を仲間と作っていくんだという思いで、政党と一体だという印として、民進党のバッジをつけ続けてきました。 


その私にとって、党を離れるという決断は大きな葛藤でした。議員のバッジを外す、外さない、これは個人の判断でできる事。でも、党のバッジを外す、外さないは相手もあることです。そしてもちろん、会見でお話をしたとおり、私は、国会での質問を野党の国会議員の本分だと思って、こだわりぬいてきました。その私が、臨時国会を前に、党に残り続けて、党の国会での追及の足を引っ張りたくない、そんな存在に自分はなりたくない。その思いも真実です。そこで、最終的には自分の決断で、党を離れる判断をし、その数時間後には、会見に臨んでいました。その後、私は地元に戻ってもう一回初心に返り、コツコツと信頼を取り戻していこう、そんな風に思っていました。そこで、しかし突然の解散です。解散となればこの愛知7区も、もちろん選挙です。出るのか出ないのか。離党の時の葛藤とは、違って、私は出るということにためらいはありませんでした。一つだけ、心残りだったのは、雑誌の件の説明も、離党の判断の理由も、そして無所属で挑戦するという決断も、一番大事な地元の皆さんと、顔を合わせることなく、声を聞く機会なく、決断をしなければならないという、その一点でした。 


●無所属でいい、権力に立ち向かわせてほしい、私を使ってほしい


それでも、いつの間にか、"7区で山尾は出ないのではないか" "山尾は出ないよ、そういう風に言われてるよ" そういう声が聞こえてきました。政治はおかしなもので、一つの流れが大きくなると、それを誰も止めることができない時があります。 だからこそ私は、地域の皆さんに、顔を合わせる前にはなってしまいましたけれども、7区での、挑戦を、はっきりと表明をさせていただきました。7区で、選挙があるのなら、7区で自民党の方が立つのなら、それに立ち向かうのは私の仕事だと。一点のためらいもありませんでした。 無所属での挑戦で、それは、資金面でも、ポスターについても、政党カーでも、事務所の持ち方もあらゆる面で、政党を持っている人とは違う。不利な闘いになるということは、後からついてきました。それでも、この気持ちを揺らがせることはありませんでした。 


まもなく私は、22日の金曜日、ようやく地元に戻ることができました。そこから3日間。瀬戸から大府まで、愛知7区、7つの自治体の後援会の集会を、一巡りすることができました。一つ一つの集会で、たくさんの方の涙と、そして疑問に触れ、そして一つ一つの集会の全てで、最後は後援会の皆さんに、無所属での挑戦を応援すると、言っていただけました。 


そしてその後1週間たって、解散翌日の金曜日、久方ぶりに、駅に立ちました。この事務所のある尾張旭の三郷駅です。300枚用意したビラが、30分で無くなりました。追加で300枚、ほとんど配り終えることができました。普段はチラシを受け取ってくれることが難しい学生さん、そして多くの女性たちが、チラシを受け取り、時には小声で、"信じてる"と。 "がんばって"と。 "負けないで"と。 "おかえり"と言ってくれました。しかし一方で、そういった100ある応援の言葉の中に、二つ、厳しい言葉もありました。 "お前が言うな"と言われました。 "ずうずうしい"と言われました。その言葉も、市民の声だと私は心に刻みました。 


●無所属で地元の方々のために、市民のために、もう一度「立ち向かう。」


地元に戻って、それまでの不安や緊張は一日一日、溶けていきます。一方で、反省の念は深まるばかりです。 10年間、7区地域の皆さんが、必死に積み上げてくれたこの、大きな大きな土台を、私の不注意で、一瞬で、大きく傷つけてしまいました。喫茶店でようやく胸を張って皆さんが、"今度も山尾を頼むね"と言ってくだされるようになったのに、あの一件で、その方々は逆に、"山尾はどうした" "何が起きてるんだ" と質問をされる立場になりました。 皆さんが、どんな思いでこの一件を見つめ、私が戻ってこられるまでの2週間、苦しい思いをされていたかと思うと自分自身の至らなさに反省は改めて深くなるばかりです。 やましいことは一切ありません。地域の皆さんに、恥ずかしいようなことは一切ありません。それでも、このご時世で、あのタイミングで、あれだけ、不注意な結果を招いたことは、自分自身が政治家として未熟だったと、心から反省をしています。しかし、そんな私を支えてくれるのは、"もう一度原点に戻って、がんばろう"って言ってくれる地域の皆さんです。その中で、私は無所属での挑戦となるでしょう。しかし、私は無所属で良かったと思っています。  


●保守や革新の対立を越えた「真にリベラルな価値」を語り続けたい


憲法を踏み絵にする、そんな流れに巻き込まれてはならないと思います。リベラルな価値を、語り続ける政治家は日本には絶対に必要だと、思います。 二大政党制が必要だ。でもそれは二大保守政党ではないはずです。リベラルな価値は、保守と対立するものではないはずです。 "リベラルって何ですか?"とここ数日たくさんの方に聞かれました。 リベラルとは、憲法に書いてある、当たり前のことです。「人は、生まれや育ちや性別で差別されることがないこと。どんな子ども達も、学校で学び、豊かな教育を受けることができる。家族責任ではなくて、社会みんなで子どもを育てていく環境を作っていくこと。そして、ひとりひとりが大切にされ、友達との会話、家族とのメール、大事な人との大事なひと時を、警察や国家に監視されることがない、自由を持つこと」です。 リベラルとは、保守とか、革新の対立を招くものではありません。すべての政治家が、本来持っているべき土台だと私は思います。そして今、野党の混乱の中で、その当たり前を、物言えば唇寒しと、政治家までが苦しい状況に置かれていることに私は大きな危惧を感じます。私が目指してきたのは、共に生きる社会です。困った時に自己責任を言っていたら、その人が困った時に手を差し伸べる人は居なくなります。自分と違う意見の人を、排除していたら、いつの間にか、その人は独りぼっちになるでしょう。 


●誰一人排除しない、手をつないで包み込む多様性を認める共に生きる社会を


私はみなさんと一緒に、誰一人排除しない、違う意見の人も、いて当たり前だと、みんなで手をつないで包み込む、共に生きる社会を、これまでどおり、ブレずに、発信する、声になっていきたいと思っています。


今回のきたるべき選挙、7区の皆さんのおかげで、私は自分の信念を、ブレずに、自由に、訴えて、そして、議席をつなぎ、みなさんの声の代弁者となっていきたい。


 私にこの仕事を続けさせてください。 全力でがんばります。

 

 聞いていただいて、ありがとうございました。


※元動画URL

https://www.youtube.com/watch?v=JDDTKJxVpnk