被災地にて

2011年3月31日


  先週末の3月27日から28日にかけて、被災地に行ってきました。
  前原誠司議員、井戸まさえ議員、三村和也議員と4人、車に支援物資とガソリン、自分たちの食料と水を積みこみ、開通して間もない東北自動車道を北上しました。
  限られた時間ではありましたが、南三陸町、仙台市若林地区、女川町、石巻市と、いずれも海沿いが壊滅的打撃を受けている地区を、この目で見せて頂き、話を聞かせて頂きました。

<南三陸町>
  災害対策本部が置かれているベイサイドアリーナにて、避難生活を続けておられる方、ボランティアの方、そして町長・副町長からお話を聞かせて頂きました。
  
  「海の恵みで生きてきて、2度までも海に全てを奪われた。それでも、私たちには、豊穣の海が光であり希望だ。」
  チリ津波を乗り越えてこの土地で暮らしてきた集落の絆はつよく、その多くが海で生計を立ててきた方々です。
  たくさんの方から、海の仕事、そして海を臨んで暮らしてきた土地そのものを大切に思う気持ちが言葉となり、伝えられました。
  
  一方で、「以前の家があった場所には戻れない、怖くて戻りたくない」という声も当然で、「土地は離れたくないが以前の場所には住めない」という思いにどうこたえるか、非常に難しい問題です。
 
  とはいえ、避難所には高齢の方が多く、マスクの奥で咳を押し殺している様子も見受けられ、次のステップが見えないままの避難所生活は、それほど遠くないうちに限界を迎えるのではないかとも感じました。
   
  まずは仮の住宅の確保により時間を頂戴し、でも一定期間のうちに「復旧」ではない「復興」の青写真を描き、市町村・県・国が密接に連携をとってその青写真を実現していく必要があります。例えば、海沿いの土地を水産加工場にして、高台を住宅街にするという青写真もありうるでしょう。その青写真を描くのは、基本的に自治体の仕事であろうかと思いますが、その実現は国のリーダーシップなしに不可能です。

<仙台市若林地区>
  「仙台市荒浜の海岸に、200から300のご遺体が打ち上げられている」
  このテロップに衝撃を受けたのは、私だけではないと思います。
  実際、荒浜の防潮堤には、ペットボトルやタバコなどが一定の間隔できれいに並べられている場所がありました。一時的に横たえられたご遺体にそなえられたものかもしれず、あるいは命が消えていった海に向かってそなえられたものかもしれません。
  
  また、この地区で被災をされながら、避難所ではなく、自宅で、あるいは友人の家で生活している方々からお話をうかがうこともできました。
  お一人はご家族の命こそ無事だったものの、家は完全に流され、一家の大黒柱であるご本人は、家族とは別に、友人の家から仕事に通っているとおっしゃっていました。
  また、その友人の方は、義理のお父様を亡くされていて、「ユーチューブで、近所の方に避難を呼びかけている義父が映っている動画を見つけた。」ともおっしゃっていました。
  ご遺体の検死を続けながら、一方で、避難所の診療にあたっていらっしゃるお医者さまも、現地の状況を真摯にお話くださいました。
  住まいを亡くした方の居所の把握、孤児となった子どもたちの進学サポート、医療器具等のニーズに対する早期供給・・・頂いた課題は多いですが、「受けとめる」にとどまらない「解決」が求められています。

<女川町>
  福島第一原発と同様に海沿いで津波に遭いながら、女川原発は、その施設内に避難所を開設しています。
 「原発反対」の看板もある集落で、「原発」の中の避難所が、その集落の今の命とくらしを支えているという現状があります。
 この発電所を視察させて頂くと同時に、所内の避難所で皆さんのお話もうかがってきました。
 また、女川町の災害対策本部にて、女川町長からもお話をうかがうことができました。
 福島原発の問題も未だ現在進行形の状況ですが、「福島」と「女川」の分岐点は何だったのか、「女川」が「福島」同様の経過をたどるリスクはなかったのかを検証することは、今後のエネルギー政策にとって必須の作業の一つであると感じました。

<石巻市内>
 石巻市内の海沿いでは、製紙工場を含む大規模工場が、連なって壊滅的な被害を受けていました。
 もちろん、その周囲の中小零細企業も同様であり、現実問題として、相当の数の雇用が失われる、あるいは既に失われたことは明らかです。
 それでも、仕事なしに生活の再建は不可能です。
 仮設住宅建設など災害復旧工事には、被災者を優先的に雇用する政策を、早急に前に進める必要があります。

 今回の震災でつきつけられた課題は、膨大かつ多様です。
 がれきの荒野を前にすると、一瞬、その課題の重さにたじろぎます。
 でも、思い出すのは、私自身が候補者のとき、道で出会った小学生に、「政治家って何の仕事?」と聞かれ、瞬間的に「命をまもる仕事だよ」と答えたことです。
 今まさに、政治家が、命をまもる政策を実行することで政治の仕事を全うすることが求められていることを、痛いほどに実感します。

外務委員会/幹事長室災害対策本部など

2011年3月24日

連休が明けて今週から、本会議や委員会が本格稼働を始めました。
  昨日は、私の所属する外務委員会でも審議が行われ、冒頭の黙祷に続き、松本剛明外務大臣より、G8等で外国の首脳から寄せられた心強い支援のメッセージなど報告を受けました。今後、被災された外国人の方の帰国支援、外国からの医療チームのコーディネートの問題など、具体的な課題解決へと審議が発展していくこととなります。
 
  今日は、朝から幹事長室災害対策本部の定例会議に幹事長補佐として出席。
  日々事態が進行していくので、それに沿って対応スキームも更新されていきます。そのスキームを共有する毎朝9時からの会議です。
  引き続き本部内で、各仲間の議員から受ける要望・提供事項の対応。
  お昼には、民主党災害対策本部総会に出席。
  午後も、計画停電の問題、ガソリンの問題、東京の水の問題など、情報共有・意見交換・対応協議のための会合が続きます。

  一部地域では、乳児に水道水の飲用を控えるよう呼びかけられました。
  私にももうすぐ3ヶ月になる息子がいます。
  赤ちゃんを育てるお父さん、お母さんが抱く不安は、私も共有しています。
  皆さんの不安を解消できるように、私もできる限りのことをしますので、ぜひ、皆さん、正しい情報に基づいて、落ち着いた行動をお願いします。
  くれぐれもチェーンメールなど出処の分からない情報で、右往左往することのありませんように。
  福島第一原発の近くで暮らしていたり、あるいは避難所住まいを強いられたりしているお父さんやお母さんは、あの3月11日以降、必死に不安と戦って子どもを育て守ってきました。今も、その戦いは続いています。
  そういったことにも、全国のお父さん、お母さんが思いを致して頂ければありがたいな、と思います。

大震災

2011年3月12日

  この度の東北地方太平洋沖地震で命を落とされた方々にお悔やみを申し上げるとともに、被災され方々にお見舞い申し上げます。

  現在、政府は、人命救助に全力をあげています。

  私も、幹事長補佐として幹事長室に詰め、情報収集・集約に務めています。

  仲間の議員から伝わってくる現地の悲痛な声を受け取る度に、胸の張り裂ける思いですが、一人ひとりがその務めを果たし、日本国民が一体となって、この国難を乗り越えていくしかありません。